昭和44年10月26日 特別奉修委員
昨日、設営の終わり時の夕方でした。私も外に出てきましたら、見事に色々、様々なコーナーがね、でけて、ほんとに、今日まあ賑やかに、楽しゅうできることだろうと思いますが、ちょうど茶席がもうけられます前のあの、( )6つ石があります上に、このくらいの石に、黒のあのわらび縄?っていいますね、黒の棕櫚縄でこうお土産物を下げるように、こうしたのが二つおいてございます。
とき私が皆んなに「あんただん、これは何のために、こけおいちゃるか知っとるの」っちゆうたら、だぁれん知らんですよね。あれは是からは上がっていけませんと言う事。あのお茶のあれは一つの約束がある訳ですよね。それであれがこの潜戸から入って、飛び石伝いがこう大体出て参りますよ茶席の方には。そん時にあの潜戸の所から、そのとび石の上においてあるならば、中では密談があっとるから入ってちゃならないっていう、あれは、止める石なんですよね。
ですから昔から茶席というのは、侍達がその密談をする為にあの茶席が、茶室が出来たと言われとる位ですよね。矢張りそのそういう一つの約束というのが、何でもある訳ですよ。ですからその知っとらんと、矢張りあのおかしい。恥をかかなきゃならん事がありますけれども。昨日、それはもう夕遅そうでした。富永さん、麻生さん、それから豊美と、あそこで、お茶を今日する人達ばかりが話しをしとる所で、私しと秋永先生と、入ってまいりましたから、明日の主客は誰かと言う事になったんですよ。
それで勿論お茶の先生が見えますから、お茶の先生それからあたしが、といってあたしが亭主じゃない。いわいるあたしがその亭主じゃないと。だから私もやっぱりはいしたら、秋永先生が、「だいたいね親先生が主客で入いらないかん」っち言う訳なんですよ。それでもその私はお茶のその、いろんなその雰囲気を楽しむとか、好きではあるけれども、なら、私しは稽古しとる訳ではないですから、色々細かい約束やら挨拶のしみちやら、知らん訳なんですよね。
だけん私はもうそんなら「そげん難しいかなんがあんならば、あたしゃ明日ご無礼しゅう」っちゆうちから、申しましたら、豊美がそれこそ涙ぐんでゆうとですよ。麻生さんとこの茶席をあの野立てをして、それから茶席をもうけて、あの大体外の事は全然、無かったんです。茶席だけがあの披露宴の時には、あの披露宴じゃないですね。この茶披露の時には、あのう茶席だけを設け様というのが始まり。
それももう恐らくあの豊美さんがもう、あのいわゆるあの一縷の別れですからね。しかもあのお茶の雰囲気なんか、うちの親先生全然しんなさらん。娘達は稽古してからどうにか茶席にでも出たり、野立てなんかにも出て知っとりますけれども、私野立てなんかの雰囲気を知らないぐらいです。ですからお父さんにね、あのそのお茶の雰囲気を味おうて貰いたいばっかりに、思い立ったとこで、お父さんが出なさらんというなんてっち言うてから、涙流して言いますもん。
それ聞かせて頂きながら思うとです。本当にあのなるほどあのまあ親の思い子の思いと申しますが、子供には子供のそういうその思いがある。ならだからというてね、あたしは知らんと。ただあたしは常識で行くだけだから、その挨拶のし道もお茶のそのこうしなければならないって事は、けれども決してねならあんた達の折角の、お茶ばっかりする人の雰囲気を壊す様な事だけはせん。それは約束を破った事があるかも知れん。
けれども親先生が入ってみえたので、却ってお茶の雰囲気があの却ってこう盛り上がってきたと言うようなね、おかげを頂きお繰り合わせをお願いしてから、なら明日私も茶席に入らせて頂こうって言うた事でしたけどね。信心でも同じだと思うんです。約束だけおいとったらもう、おかげが受けられませんですよね。だからそのというて知らんというのではいけん。やっぱ知っておってもそれをあのまあ自由自在にですかね。
しかもそれが周囲のならお茶のある、お茶の心得のある人たちの、邪魔にも成らない様な私は雰囲気というのは、実意丁寧以外にないと思うんですよ。信心も同じ事が言えると。どこまでも神様を中心にした考え方。それは金光教の生き方とはちっと違ってもです、矢張りそこから本当のおかげの受けられる道が開けてくる。だからというて知らんじゃいかん。信心とはという事を知らなければいけない。それで私し共がとにかく実意丁寧を身に付けておけば、どこへ出てもいいという感じがいたしますですね。
どうぞ。